第六話 野良猫「トラ」

終戦前のことである。20歳前の九ちゃんが住む砥沢の部落に、トラという通称を持つキジトラの野良猫がいた。金網で囲った家畜の鶏を4匹全部食ってしまったり、自分より大きなウサギを食い殺して、そのウサギをくわえたまま4尺(120センチ)の高さがある塀を飛び越えたり、まさに札付きの悪者であった。
「何とかならねえだんべか」と、九ちゃんに愚痴のような頼みごとのようなことを言う人が2~3人に上った。かくいう九ちゃんも、釣ってきたマスを開き干しにしていてトラに食われたことがあっただけに、恨みを持っている。一計を案じた。家の床下の隙間を物で覆い、2か所だけ開けておいた。一つには猫の首がやっと通る大きさにしておいてウサギを捕る針金の罠を仕掛けた。もう一つは入り口であり、穴の近くの床下にマタタビを置いた。猫にマタタビというくらいなので、どんな猫も寄ってくる。待つこと3時間ほど。トラが入り口から入った。隠れて見ていた九ちゃんが素早く長靴で入り口を塞いだ。途端に床下をドンと突き上げる音がした。跳び上がったトラが床板に当ったのだ。それから方々でドシン、ガタンとやりだした。その物音と家を揺るがす振動はすさまじく、「本モンの虎みちょだった」という。そしてとうとう、グエという音がした。罠の針金が首を絞めたのだ。どたばたと数分物音がして止んだ。流石のトラも死んだのである。
はじめ九ちゃんはトラを捨てようと思っていたが、何せ食糧難の時代である。それに猫の皮は売れるかもしれない。とりあえず皮を剥いで首を落とし、足を縛って土間の天井からぶら下げておいた。血抜きである。夕方になると近所の友達が遊びに来た。イロリばたに座ると土間にぶら下がっている獲物が見える。「何だ、それは?」「うん?これか?これはウサギだ。今日つかまえて血抜きをすっから、明日はうまかんべ」「ほんとか?」季節は夏の終わりで秋口になっていた。山にはウサギの食べ物が豊富であり、この時期にウサギが捕れるとは信じがたい。犬か猫だんべ、と怪しんだが、それ以上は口に出さなかった。そのうちに二人、三人と同じ年頃の友達が集まってくると賑やかになる。四角の囲炉裏バタに胡坐をかいて茶碗酒を飲みながら、みんなチラチラと天井からぶら下がっている獲物を見ている。酔いが回ると、そのうちの一人が「ウサギを食わせろ」と言いだした。最近、肉をトンと食ってねえから、たまには精を付けべえ、という訳である。最初は疑っていた仲間も、一人がウサギと信じて疑わない姿を見るとだんだん信用してきた。もともと猫とウサギは区別がつかない。「血抜きがなんだ、物惜しみするな」と一番酔った奴が言う。他の者も、そうだ、そうだ、とうるさくなった。
適当に受け流していた九ちゃんも、ケチだの、しみったれだのと言われては、男がすたる。九ちゃんは立ち上がるとその獲物を下ろして、料理し始めた。鍋に適当に切った大根、ネギ、芋を入れる。兄貴分を気取った人が「ナスとネギをいっぺえ入れろや」という。ナスやネギは昔も今も毒消しである。煮えたころ「肉を入れてみろ」となった。猫や犬の肉は煮ると『泡が立つ』という言い伝えがあって、皆それを信じていた。九ちゃんも≪泡が立ったら潔くホントのことを話すべえ≫と覚悟を決めた。恐る恐る肉を入れた。一瞬静まった鍋がグツグツと煮立っても、うまい具合に泡が立たなかった。だが、誰も箸を入れない。二十歳前の食い盛りの若者がぐるりと囲んで見守る中で、鍋の音だけがグツグツいっている。言い出しっぺの友達も、心の中では疑っているのだ。無言の圧力に九ちゃんは踏ん切りをつけた。箸を持つと鍋の真ん中に突っ込んで、中くらいの肉をつまみ上げた。それを、ふ~ふ~と吹いた。そして、無造作に口に放り込むと、あふぃ、あふぃ、と言いながらモガモガ噛んで、ゴクンと飲み込んだ。「血抜きもまあまあだんべ。うめえや」と一言云った。そうか!と皆が一斉に箸を突っ込み「うんめえ、うんめえ」といいながら瞬く間に食べてしまった。九ちゃんが肉を食ったのは最初の一箸だけで、あとはナスとネギばかりを食っていたのには誰も気づかなかった。肝心の猫の肉の味は、熱いばかりで良く分からなかったという。

そべえてるってぇ?ホントの話だよ~。おもしれぇだんべぇ。

【尾沢のかぢか寄稿】